森 毅「魔術から数学へ」(講談社学術文庫)読後メモ

 最近、古本屋で購入。高校以来苦手科目になってしまった数学に、未だ未練がある。

 中世、ルネサンス、近代へと時代が変わっていくあたりのヨーロッパ、数学が錬金術占星術と一緒くただった時代の事情がかすかな関西弁混じり(東京生まれなのに)で語られる。デカルトニュートンもこの人にかかっては同時代人のような感じだ。ただやはり、ひと昔前の東大教授、じゃなかった、この人は東大卒の京大教授だった、の漫談を聞いているような感じで、浅学非才の私にはついていけないところも多少はある。特に70ページ以上面白おかしく読んだ後で突然、対数、logがいろいろな計算式とともに当たり前のように登場したときには参った。高校の参考書でも買って勉強し直したいという気持ちに、少しだけなる。

 それでもめげずに読み進めると、また面白い文科系っぽい話も出てきて、最後まで読むのは難しくなかった。論理を全部追えたわけではないとしても。

 知的好奇心をくすぐられる本であることは確かだろう。

Bob Greene ボブ・グリーン「Cheeseburgers チーズバーガーズ」(講談社英語文庫)読後メモ

 これも積んどく本の中から引っ張り出して読んだ。奥付を見ると、発行は2000年(第15刷)とあるから20年以上埋もれていた可能性がある。英語の勉強を兼ねて買ったのだろう。

 対訳ではなく「英語文庫」だから、本文は英語で巻末にほんの少しだけ翻訳家の伊佐憲二氏のNotesがあるだけ。それでもボブ・グリーンの英語(というより米語だが)は平易で辞書無しでも大体の文意はつかめる。書きぶりもウィットとユーモアに富み、ひと昔前の万人受けするタイプ。それがまさに20世紀の最終四半世紀の間、彼が売れっ子コラムニストであり続けたゆえんだ。日本では今から見れば信じられないほど不適切なことが堂々とまかり通っていた時代、アメリカは日本よりはマシだと考えられていた時代、それでも誰も「9/11(ナイン・イレブン)」を知らず、トランプ氏が政界に出てくるなどとは露ほどにも思わなかった頃のことだ。

 今読むとノスタルジックなモノクロ写真であるのは否めないが、確かに英語の勉強にはなる。絶版になったらしいのはちょっと惜しい。

立原正秋「海岸道路」(角川文庫)読後メモ

 積んどく本の山の奥底から引っ張り出して読む。奥付ページを見ると、昭和58年1月に発行された5版であることがわかる。特に古本屋の売り値表示らしきものはないので、1980年代に新刊で買ったのだろうか。そうだとすると、読まないまま40年ぐらい埋もれていたことになる。

 どうしてこの本を買って、そして読まなかったのだろうか。当時好んでいた片岡義男の爽やかな青春物語のように思って買ったら全然違うので、二、三ページ読んで放ったのだろうか。

 ともかく今回読んでみたら、なかなか面白かった。但し、全く「爽やか系」ではない。「無頼系」「退廃系」とでもいうようなものだ。初出は1966年から1967年の「週刊サンケイ」連載だというから、描かれる風俗は相当に古い。現代のコンプライアンス基準に照らせばNGの連続でもある。ポルノ映画の原作になっていないのが不思議なぐらいだ。さすがの角川も文庫版の紙媒体での提供はやめて電子版のみとしているのは、有害図書のレッテルを貼られるのを懸念したからだろうか。

 また主人公は相当な美食家らしく、贅沢な食べ物を過剰に食べている。酒も浴びるほど飲んでいる。どう考えても健康に良くない。作者もそうだったのだろうか。立原は食道癌により54歳で死んでいる。 

磁気テープ健在を喜ぶ

 2024年5月8日付けの朝日新聞(紙媒体)に「デジタル社会の『命綱』 磁気テープ進化中」と題する記事が載った。デジタル版は2024年5月8日 5時00分: 朝日新聞デジタル(有料記事)だが、内容は2024年4月17日 8時00分: 朝日新聞デジタル(有料記事)の焼き直しのようだ。それはともかく、目立たないながら頑張って働いているデバイスに光を当てた記事が一般紙に載ることは大変喜ばしいことだ。 

 思い立って、磁気テープに関わる最近の資料を少し掘り起こした。

 

 

 

 

 

ウィリアム・カッツ「恐怖の誕生パーティ」(新潮文庫)読後メモ

 倒錯した犯罪者の眼、被害者になるかもしれない人妻の眼が交錯する中、ストーリーはどうしようもないデッドエンドへと突き進んでいく。

 舞台はニューヨークシティ。時は1980年代。

 原題:SURPRISE PARTY

 著者:William Katz

 訳者:小菅正夫

ウォルター・ウェイジャー「マンハッタン殲滅計画」(二見文庫)読後メモ

 昔会社員だったころ、営業課長が課員を集めて言った。「おー、みんな今日の外出予定全部キャンセルしてくれ。地下鉄でテロあって、毒ガスまかれて、若いサラリーマン一人死んじゃった。」亡くなった人は一人ではなかった。多くの負傷者も出し大変な事件となった、オウム真理教地下鉄サリン事件の日(1995年3月20日)の午前中のことだ。

 「マンハッタン殲滅計画」というサスペンス・フィクションはそのオウムの事件の10年も前に書かれ、邦訳版も1986年12月に刊行されている。犯人の組織も動機も違うが、大都市の地下鉄で神経ガスを使った大惨事を引き起こすというところが同じなのだ。

 オウムの事件にしても、このフィクション中の犯人にしても、自分でしていることがどういうことなのかわかっていたはずである。「社会規範から大きく逸脱したことを実行しても自らが信奉する高位の目的のためには許されるのだ」という自己正当化の海に、何らかの原因で溺れてしまったのだろう。そして、どうしたらそういうふうにならないようにできるかという問いには一筋縄では答えられない。

 「ダイ・ハード2」の原作者でもあるウォルター・ウェイジャーの筆致は重くないが、テロ、戦争などについて考えさせられる1冊だった。

 原題:Otto’s Boy

 著者:Walter Wager

 訳者:広瀬順弘

映画「ゴジラ-1.0」を観た

 遅まきながら、「ゴジラ-1.0」を観た。

 終戦直後を舞台設定としたことで、ゴジラ映画に新しいドラマを生み出した。

 戦後、ゴジラの物語が繰り返し作られ皆に受けてきたのは、日本人の心の中に「もう戦争による破壊と殺戮はごめんだ」「やられるのが嫌なだけじゃなく、やるのも嫌だ」という平和への祈りがあるからだと信じたい。