邱永漢「食は広州に在り」(中公文庫)読後メモ

 30年ぐらい前だろうか、街の本屋さんへ行くと、ごま書房や徳間書店などから出版された金儲け指南の本が平積みになっていた。当時はそれらの著者である「邱永漢」という名前を見ても「金儲けの上手な中国人」程度の認識しか持たず、この人の文学的センス、人生哲学などに思いを及ばせることはなかった。今回この本を読み、初めて邱永漢の人となりを知る。

 戦前に台湾人として生まれ、旧制高校、東京帝大といった大日本帝国のエリート教育を受けながらも日本に安住するわけでなく、飄々として台湾、香港、中国をも渡り歩き、まさに一代で大成功した実業家として一生を終わる。その間に膨大な量の著作を執筆、大部分は実用書かもしれないが、小説を書いて直木賞を受賞してもいる。いろいろ大変な目にもあっているはずなのに終始楽天的で、国籍など何であっても自分は「大中国人」なのだというような気概をこの人から感じるのは、間違った解釈だろうか。そしてその中国人にとって、食べることは、どんな家に住むか、どんな奥さんと結婚するかよりも大切なことなのだという。

 難読の漢字に広東語の発音らしいルビが振ってあり、意味を説明してくれているところも多いが、本当に真面目に読むためには漢和辞典か中国語の辞書が必要かもしれない。しかし、著者は「そんなに真面目に読んでくれなくていいよ」と言っているように感じられたため、テキトーにスルーして楽しく読んだ。いつものラーメンやチャーハンではなく、本格的な広東料理が食べてみたくなった。

常盤新平「遠いアメリカ」(講談社文庫)読後メモ

講談社文庫版はもう古本でしか入手できないらしいが、今は小学館から出ているようだ)

 昭和真っ盛り(と言っても昭和は長かったから人によって思い浮かべる年代は違うがここでは昭和30年代)の青春物語。何しろ主人公の名は「重吉(ジュウキチとしか読めない)」、その恋人は「椙枝(スギエ)」だ。「ネクタイをズボンのベルトがわりにした中年の男が」というような今では想像しがたい記述も出てくる。

 私も英語のペーパーバックに興味を持って古本屋を回ったりしたことがあるものだから、そんなことにハマってしまった主人公の気持ちはわからなくもない。でも、さすがにそれで生きていこうとは考えなかったし、たぶんそんな勇気というか無鉄砲さみたいなものは持っていなかったんだと思う。学生時代、重吉ほどは怠惰な毎日も送らなかったし、結局文学部へも行かなかった。

 ストーリーは終始暖かみがある雰囲気の中、善意ある人たちに囲まれて展開、準ハッピーエンドを迎える。どういうふうにして「常盤新平」という人ができあがったかがよくわかる。

ジョン・アップダイク「同じ一つのドア」(新潮文庫)読後メモ

 ブログに書こうと思って、著者・題名をネットで検索して驚いた。なんと新本では入手できないらしい。と言っても、古本が高騰しているわけではなく、その気になれば廉価で購入できるだろうが。なにしろ、自宅の積ん読本の山に20数年は眠っていたらしいので、そういうこともあるかなという感じ。

 アメリカの普通の人々(と言っても1930年代生まれの人が若い頃という意味)が日常生活の中でふと感じること、感じた本人もすぐ忘れてしまいそうな心の機微をさらりとした筆致で描き出す。絵に例えれば、都会や郊外の町を描いた水彩画か。

 短編集なので、1篇読んでまた時間を空けて次のを読むということもできる。

 

 

赤川次郎「子子家庭は危機一髪」(新潮文庫)読後メモ

 こっちの方が、「子子家庭は大当り!」より先に書かれたものだった。一応、事の発端から書いてある。初出は昭和時代末期の「小説新潮」だという。

ロス・トーマス「冷戦交換ゲーム」(ハヤカワ・ミステリ)読後メモ

 米・ソの冷戦、そこに中国も台頭してくるころの東・西ドイツが小説の舞台。著者はアメリカ人、主人公もアメリカ人。

 人が死ぬ場面に、ル・カレの小説のようなモラリティがあまり感じられない。ハードボイルド系スパイ小説。

 登場人物の二人が話す場面で、

「あの壁はなくならない、ということだな。少なくともおれたちの生きている間にはね」とある。一人は小説の中で死に、もう一人は生き残った。「壁」とは、今はなきベルリンの壁のこと。

 原題:The Cold War Swap

 著者:Ross Thomas

 訳者:丸本聰明

ギャビン・ライアル「マクシム少佐の指揮」(ハヤカワ・ミステリ)読後メモ

 ドイツがまだ東西に分かれていたころの話。マキシム少佐はダウニング街10番地(英国首相官邸)に勤務しているので、そのころのロンドンや郊外の様子、風俗などを垣間見られる。高貴な家柄で大酒飲みの首相補佐官が、ふらふらしながらも一応機能しているのが英国らしい。

 一方で、戦後東西に分かれたドイツには表舞台に出てこない悲劇もいろいろあったのだろうなと感じさせる。

(蛇足)邦訳タイトル「マクシム少佐の指揮」は原題 "The Conduct of Major Maxim" を訳したものだが、ストーリーに鑑みれば、「指揮」ではなく「行為」「行い」の方が意味的に合っていて、もっと言えば「行状」とでもしたい。しかし、そんなタイトルでは本が売れないから、この邦訳名になったのだろう。

映画「サタデー・フィクション」を観た

 映画「サタデー・フィクション」を観た。近来まれにみるほど面白いスパイスリラー。中国本土の人が作った映画を日本人が冷静に鑑賞できるという意味でも素晴らしい。

 映画の中の劇中劇の原作は横光利一「上海」だというので、青空文庫で見てみた。いきなり「春婦」だの「トルコ風呂」だのという死語が頻出するので少しびっくり。